人生の歩みは、日本の統計学の発展とともに
必然がもたらした、統計学への道
日本統計学会理事長を務め、日本はもとより世界にその名が通ずる統計学の第一人者。
教授としての落ち着きがありながら、権威を笠に着ようとはしない気さくな雰囲気の早川先生。名古屋大学での学生時代には、ノーベル賞を受賞した益川先生と同じクラスで勉強したというエピソードもお持ちです。
統計学の重鎮ともいえる存在ですが、その道に進むことを特に志望していなかったとか。「1年生の時、高木貞治先生の解析概論という本を読んで数学は美しいと興味を持ち、数学科に進んだわけです」。当時、数学界で世界的に流行していたのが、フランスの数学者集団・ブルバキの抽象的手法。在籍する名古屋大でも採用していました。しかしながら本当に学びたかったのは具体的、古典的な数学を通しての温故知新です。そのことを知っていたゼミの先生から、「具体的な数学が好きなら統計学をやってはどうか」と、文部省の統計数理研究所への応募を勧められます。「それに合格したことが統計学の道に進むきっかけになりましたね」。
統計数理研究所では、様々な人たちと切磋琢磨しながら数学的嗜好も加味しながら研究に没頭。「大学の授業で、先生があるひとつの定理をレポートにしなさいという宿題を出したことがあって、それが今も印象強く残ってるほどきれいな問題で。その時の定理が、いろんな形で統計学に使われていることを調べてきた、という気がします」。研鑽を積み、徐々に重要なポストを任されるようになった頃、周りを見渡すと大学へと移ってゆく仲間達の姿が。
「ずっと研究所にいたので大学もいいなと」。いくつかの大学から声がかかっていたこともあり、研究者から指導者への道へ。選んだ先は一橋大学。ここで24年ほど、大学・大学院の教授として、研究所で培った知識を生徒たちに伝えていく仕事に携わる事に。「大学にはいろんな人がたくさん居て、そういう人たちの話を聞くとか、議論の仕方とか勉強できて自分の幅が広がった。研究所にいたままだったら体験できなかったこと」。
大事なことは、自分で考え、答えを出すこと
その後、富士大学に大学院を新設する際、教授としての着任を要請されます。幼い頃、盛岡で過ごした時期もあり、岩手は遠い存在ではなかったとか。
現在、大学と大学院の両方で教鞭をとるかたわら、研究を続ける毎日。生徒に強く言いたいことは「人の話しを鵜呑みにするな」ということ。「同じ問題でも違う方向から見ると答えが変わることもある。ひとつの価値観にとらわれないこと。先生の言うことだって鵜呑みにせず、頭の中で理解し、こなして納得してから正しいと思えば受け入れればいい。自分自身で考えることが自主性につながる」。ご自身、この道に入る前から考えることが好きで、自分なりの方法を模索し結論・結果導き出し、それが統計学という分野で、世界的に認められた輝かしい業績につながっていったといえます。
早川先生の歩んできた歴史、学問に対する姿勢はまさに『生きている教科書』。統計学界ではゆるぎない存在になった今も、考えることと向き合っています。