硬式野球部 小野泰己投手が阪神タイガースから2位指名を受けました
お知らせ
本学硬式野球部 小野泰己投手(4年)が本日行われたプロ野球ドラフト会議において、阪神タイガースから2位指名を受けました。
小野投手は、「高校のころからプロ野球選手になるのが夢だったのでとても嬉しいです。阪神のホームグラウンドである甲子園は高校生の頃目標にしていた場所なので、感激です。富士大学での4年間で持ち味のストレートが成長したので、これを生かしていきたい」と笑顔で話しました。
豊田監督は、「高く評価していただいてうれしい。ここがスタートラインなので日々成長して活躍できる選手になってほしい」とコメントしました。
本学硬式野球部からドラフトで指名を受けるのは7人目で、山川穂高選手(西武2位指名)・外崎修汰選手(西武3位指名)、多和田真三郎投手(西武1位指名)に続き4年連続で、阪神タイガースからは1997年の橋本大祐投手以来の2人目の指名となります。
=========================================
≪小野泰己投手 プロフィール≫
平成6年(1994)年5月30日生。
福岡県折尾愛真高等学校出身。184cm・71kg。
富士大学 経済学部 経営法学科 4年
平成13年 大原小学校(福岡)1年時にソフトボールを始める。
平成19年 上津役中学校(福岡)時代は、軟式野球部に所属する。
平成22年 折尾愛真高校(福岡)時代は、1年秋から控え投手としてベンチ入りすると3年春
福岡大会(北部地区)ではベスト8に貢献。準々決勝の九州国際大付属戦で自己最速
145km/hをマークするも1対2の1点差で敗北。
3年生の5月に盲腸、6月には練習試合中の打席でファールを打った際に右半月板
損傷と不運な怪我に悩まされる。最後の夏はリリーフの1回のみの登板に終わった。
平成25年 富士大学(北東北大学野球連盟)へ入学。1年時の大半は当時の豊田投手コーチ(現
監督)指導の下、体力づくりや基礎練習にあてる。
平成26年 2年生春季リーグ戦でリーグ戦初登板。6回1安打無失点で初登板初勝利を収める。
当時のエース多和田(現・埼玉西武ライオンズ)との2枚看板でこの年29年ぶりの
春・秋連覇に貢献する。
平成27年 3年時の秋季リーグ戦では4勝0敗で4連覇に貢献し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
平成28年 4年時の春季リーグ戦では調子が上がらず優勝もプレーオフまでもつれる。
ここでエ―スの意地を見せ2試合で16回を投げ1失点25奪三振の好投でチームの5
連覇に貢献する。6月の全日本大学野球選手権大会では2試合に先発し、初戦の京
都産業大学戦では、5回1/3を投げチームの勝利に貢献した。2回戦亜細亜大学戦では、
制球が乱れ5回2/3で四死球5と苦しみ敗戦投手となる。6月下旬に行われた第11回
東北地区大学野球選手権大会では準決勝で青森大学戦に先発し勝利をもたらす。
チームの2大会ぶりの優勝に貢献した。秋季リーグ戦では5勝0敗の活躍でチームの
6連覇に大きく貢献。最優秀選手賞とベストナイン(投手)の2つのタイトルを獲得。
9月20日、プロ野球志望届を提出。
【 富士大学の過去プロ野球ドラフト指名選手】
1997年 阪神タイガース/橋本大祐(投手) 2005年 千葉ロッテマリーンズ/相原勝幸(投手)
2010年 広島東洋カープ/中村恭平(投手) 2013年 埼玉西武ライオンズ/山川穂高(野手)
2014年 埼玉西武ライオンズ/外崎修汰(野手)2015年埼玉西武ライオンズ/多和田真三郎(投手)

小野投手は、「高校のころからプロ野球選手になるのが夢だったのでとても嬉しいです。阪神のホームグラウンドである甲子園は高校生の頃目標にしていた場所なので、感激です。富士大学での4年間で持ち味のストレートが成長したので、これを生かしていきたい」と笑顔で話しました。
豊田監督は、「高く評価していただいてうれしい。ここがスタートラインなので日々成長して活躍できる選手になってほしい」とコメントしました。
本学硬式野球部からドラフトで指名を受けるのは7人目で、山川穂高選手(西武2位指名)・外崎修汰選手(西武3位指名)、多和田真三郎投手(西武1位指名)に続き4年連続で、阪神タイガースからは1997年の橋本大祐投手以来の2人目の指名となります。
=========================================
≪小野泰己投手 プロフィール≫
平成6年(1994)年5月30日生。
福岡県折尾愛真高等学校出身。184cm・71kg。
富士大学 経済学部 経営法学科 4年
平成13年 大原小学校(福岡)1年時にソフトボールを始める。
平成19年 上津役中学校(福岡)時代は、軟式野球部に所属する。
平成22年 折尾愛真高校(福岡)時代は、1年秋から控え投手としてベンチ入りすると3年春
福岡大会(北部地区)ではベスト8に貢献。準々決勝の九州国際大付属戦で自己最速
145km/hをマークするも1対2の1点差で敗北。
3年生の5月に盲腸、6月には練習試合中の打席でファールを打った際に右半月板
損傷と不運な怪我に悩まされる。最後の夏はリリーフの1回のみの登板に終わった。
平成25年 富士大学(北東北大学野球連盟)へ入学。1年時の大半は当時の豊田投手コーチ(現
監督)指導の下、体力づくりや基礎練習にあてる。
平成26年 2年生春季リーグ戦でリーグ戦初登板。6回1安打無失点で初登板初勝利を収める。
当時のエース多和田(現・埼玉西武ライオンズ)との2枚看板でこの年29年ぶりの
春・秋連覇に貢献する。
平成27年 3年時の秋季リーグ戦では4勝0敗で4連覇に貢献し、最優秀防御率のタイトルを獲得。
平成28年 4年時の春季リーグ戦では調子が上がらず優勝もプレーオフまでもつれる。
ここでエ―スの意地を見せ2試合で16回を投げ1失点25奪三振の好投でチームの5
連覇に貢献する。6月の全日本大学野球選手権大会では2試合に先発し、初戦の京
都産業大学戦では、5回1/3を投げチームの勝利に貢献した。2回戦亜細亜大学戦では、
制球が乱れ5回2/3で四死球5と苦しみ敗戦投手となる。6月下旬に行われた第11回
東北地区大学野球選手権大会では準決勝で青森大学戦に先発し勝利をもたらす。
チームの2大会ぶりの優勝に貢献した。秋季リーグ戦では5勝0敗の活躍でチームの
6連覇に大きく貢献。最優秀選手賞とベストナイン(投手)の2つのタイトルを獲得。
9月20日、プロ野球志望届を提出。
【 富士大学の過去プロ野球ドラフト指名選手】
1997年 阪神タイガース/橋本大祐(投手) 2005年 千葉ロッテマリーンズ/相原勝幸(投手)
2010年 広島東洋カープ/中村恭平(投手) 2013年 埼玉西武ライオンズ/山川穂高(野手)
2014年 埼玉西武ライオンズ/外崎修汰(野手)2015年埼玉西武ライオンズ/多和田真三郎(投手)
