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大学院

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現役院生・修了生メッセージ

修了生メッセージ

社会に出てから学びなおしの実践を進めた方々からの言葉。

富士大学大学院で税理士の資格を取得し、活躍する修了生を紹介します。(50音順)

阿部 将成さん

富士大学出身者では最年少での税理士試験合格者

秋田:湯沢翔北高出身
富士大3年生時に2科目同時合格。
平成27年3月、富士大学経済学部卒業。
平成29年3月、富士大学大学院修了。
令和2年税理士登録。


私は、税理士という仕事に就くために、富士大学に入学し、4年間勉強を続けました。そして、卒業を迎えようとする頃、進路について悩んでいました。大学4年生の時には、「税理士試験」の2科目に合格しました。残りの3科目については、仕事をしながら受験勉強をして税理士を目指すのかという選択肢を考えました。
あるいは、受験に専念して税理士を目指す方向も考えました。さらには大学院に進学し、学位による試験科目免除制度を利用して税理士を目指すのかということも考えました。このような様々な選択肢がある中で、大学のゼミ担当の指導教員に相談したところ、「大学院に行って税理士を目指す方がよいのではないか」というアドバイスをいただきました。その後、家族の賛成も得ることができて、大学院に進学することを決めました。

私が大学院に入学し、良かったと感じた点は主に2つあります。
1つは、勉強することについてのモチベーションが上がったということです。大学院における大半の院生の方々は仕事をしつつ大学院に通い、税理士を目指しています。意識の高く目線の高い方々ばかりでした。彼らと一緒に会話をしたり学んだりすることにより、私には未知のことがらであり、彼らからは非常に大きな刺激を受けました。
2つ目は大学院で学ぶ中で、物事を論理的に考え、自分の意見を相手にしっかりと伝えることができるようになったことがあります。大学院での講義はゼミ形式で行われ、講義のたびに自分の意見を求められました。最初のうちは、なかなか自分の考えを相手に伝えることに苦労しました。授業の回数を重ねるたびに、他の院生の方々や講義を担当する先生方に自分の意見をしっかりと伝えることができるようになっていました。

大学院で学んだ2年間はあっという間でした。学部で過ごした4年間よりも密度の濃い時間を過ごすことが出来たと思っています。就職しながら税理士試験を受けるということより、あるいは専門学校で受験に専念して税理士を目指すということよりも大学院での学びは多くのことを得ることができました。専門的な知識はもちろんのこと、大学院での講義や修士論文を執筆することを通して、論理的思考力や文章力、コミュニケーション能力など、様々なことを身につけることができました。

税理士を目指そうとしている方や、社会に出てからもう一度勉強したいと思っている方に富士大学大学院は向いていると思います。富士大学大学院は、教授や職員のサポートが厚く、社会人として働きながら、大学院に通えるようなカリキュラムも充実しています。また、図書館等の学内の設備も充実しており、学習するのに適した環境だと思います。

少しでも、富士大学大学院に興味を持った方は、オープンキャンパス等でぜひ一度富士大学大学院に足を運んでみてください。

梅木 彰厚さん

36年ぶりの学生生活

梅木 彰厚さん
昭和26年生まれ
富士大学大学院 平成24年3月修了
花巻市で税理士事務所を開業

私は60歳で大学院を修了し、現在地元花巻市で税理士事務所を開業しております。
税理士試験に初めて挑んだのは27歳の時、半年の勉強で臨んだ受験は見事に失敗しました。けれども、その後3年間で財務諸表論、簿記論、相続税、固定資産税と四科目合格することができました。“残り一科目は何時でも合格できる”と慢心して帰郷しました。祖父の会計事務所での仕事は楽しく、生活はそれなりに充実していました。しかし、やがてその仕事が受験の為の大切な時間を忙殺することになり、受験は失敗を繰り返しました。その後の20年間は受験料の無駄遣いが続くことになってしまいました。その間、祖父は他界し、事務所は他人名義となってしまいました。副業に精を出すことで一度目指した夢に目をそむけ、“こんなもんかな?”と退職後の生活を思い描いて日暮しするようになりました。

富士大学に在職する恩師から電話が入ったのは、個人の確定申告の仕事が一段落した時でした。
“うちの大学院に来て修士論文を書いてみたらどうだ”と背中を押してくださいました。地元の富士大学に税理士試験免除制度の大学院があることは知っていました。でも、白髪頭のこの私が一番苦手な文章を、それも修士論文をこれから書くの?書けるの?と頭が拒否していました。けれども口を衝いて出た言葉は“お世話になります”という一言でした。
36年ぶりの学生生活は戸惑うことばかりでした。
先生方は授業で“毎回順番に発表してもらいます”とおっしゃる。発表って何?何を発表するの?という状態で、私はまるで浦島太郎にでもなったかのようでした。
一番の戸惑いは修士論文のテーマを決定することでした。指導教授から助言を頂けるものと当初は安易に考えていました。これを自分で決めなくてはいけません。当たり前のことです。実務で疑問に感じたものをテーマにしようとすると、あれこれ迷ってしまい際限がなくなってしまいました。私はテーマ選定に右往左往してしまい、収集した文献を一度無駄にしてしまったこともありました。

でも“入学してしまったんだから修了するよりしかたない。”
一年目は学科単位取得の為に授業は欠席せず課題レポートは必ず提出すること、二年目は修士論文を書き上げることを最優先にしました。好きな晩酌も控えることを心に決めました。そして年の離れたゼミ仲間に胸襟を開き、文献の収集方法や論文の作成方法を教えてもらいました。ゼミの先輩や大学院担当教授からも論文のまとめ方について教えて頂きました。指導教授の核心を突いた御指摘に心が折れそうになったこともありました。真摯に自分と向き合うことで何とか論文を書き上げることができました。そして、一度は挫けそうになった夢をこの歳になって叶えることができ、一つのけじめをつけることができました。

今となってみれば“案ずるより産むが易し”です。
大学院で判例や対立する学説を読み込み、自分の見解を論文にまとめる経験は、実務における視野を広げてくれました。職員として税理士を補助し税務申告書の下書きをする事と税理士として税務申告書を作成する事とでは雲泥の差があることを考えさせられました。そのことを特に肌で感じながら、仕事を続けてさせて頂いております。
今は富士大学大学院で学んだ2年間に感謝しています。もうすこし現役を続けていきたいと思います。
あきらめなければ昨日と違う明日がきっとあります。富士大学大学院で修士論文を書いてみませんか。 

小野 秀樹さん

尊敬する一生の師に出会ったこと

富士大学大学院 平成20年3月修了
福島県で家業の税理士事務所を継承

私は、富士大学大学院の入学前に3つの不安を持っていました。1つ目は、仕事をしながらの通学になるため勉強のための必要な時間数を確保できるだろうかという不安。2つ目が50歳を超えて健康に若干不安がありましたから果たして無事に2年間過ごすことができるだろうかという不安。3つ目は大学院の授業についていけるだろうかという不安でした。

しかし、平成18年4月に大学院での授業が始まると、どの授業もとても新鮮で興味深いものがありました。一回でも受講を休むのはもったいないと思ようになって一か月スケジュールを組むに当たっては、何が何でもまず授業時間を確保してからということになりました。大学院の授業が最も優先の高い順位に位置づけていました。それ以外のところで私は仕事を進めました。大学院では修士論文作成が最終目的ですが、1年目はきちんと必要な単位をしっかり取ろうと決意しました。気を張ってやっていたからでしょうか、幸いにも大きな病気をすることもありませんでした。また、突発的な止むに止まれぬ仕事が入ることもなく、自分が選んだ授業は一度も休むことなく受講することができていました。3つめの不安に対しても、何とか授業についてゆくことができて必要単位も取得することができました。
これは、個性豊かな実績の豊富な先生方の懇切丁寧な指導と、同期に入学された皆さんと何かと励ましあいながらやれたからだと思っています。同期の方々の年齢、出身地は様々でしたが、本当に私にはよくしていだいた方々ばかりでした。

研究指導教員である岸田先生には、2年間、租税法の講義と演習の時間では言葉では語れないほどお世話になりました。先生からは税法についてはもちろん、人生や学問に対する考え方についても教示を受けました。さらに先生の日々の立ち居振る舞いが年齢の高くなった私に大きな影響を与えて下さいました。相当に年齢が高くなった今、尊敬する一生の師に出会うことが出来たのは大変幸いでした。先生にはこれからもご指導を仰いでいきたいと思っております。それとともに先生もご高齢ですから、末永くお元気でいただきたいとも願っています。

今回、税理士として登録して、常々感じることがあります。それは以下のことです。厳しい環境の中で生き抜くためには、日々自己研鑽を積む必要があることがあります。改めて、修了して年数が経った今、そう思っています。
これからも、富士大大学院で学んだ2年間を誇りにして、岸田先生、富士大大学院の先生方、同窓の皆さまと連携を図りながら、頑張っていきたいと思います。

片山 裕一さん

積み上げていくことが修士論文の完成の道

富士大学大学院 平成28年3月修了
新潟県の実家の税理士事務所に勤務

私はここ数年、税理士試験の合格を目指して参りました。その受験勉強が私の日常生活の中心にありました。大学院に入学後も、それは変わりませんでした。
とりわけ、税理士試験委員が決まる4月始め頃に、大学院の入学が挙行され新しい毎日がスタートしました。その頃、どちらかといえば、大学院での授業より、大学の図書館を利用しての税理士試験の簿記論の勉強に取り組んでように思います。そうした勉強をしているのは私だけではなく、受験勉強に真剣に取り組む院生も少なからずおりました。その進め方にもいろいろと特徴があり努力の傾け方・進め方は各人各様でした。同じことを取り組む院生の方々といろいろと意見交換をしまして非常に興味深いものがありました。

大学院での学びに注力したのは税理士試験の終了した後期に入ってからです。後期に入ると、M2の院生の方々は10月に開催される2回目の発表会での準備に勤しんでおられました。それを横目で見ながら、翌年にはこのことが自分に回ってくることを感じていました。
12月後半になって、税理士試験の吉報が届きました。約10年間、このことに専心していましたから感無量でした。それとともに、今度は修士論文に集中するということで、少しばかり悩ましい想いにも駆られました。それとともに、その頃、修士論文のテーマをおぼろげながらですが、見出すようになっていました。テーマを自分で選んで確定させたのは同じ12月です。やはり、これは思い返すと、非常に難しいことでした。ゼミの中江博行先生がこのテーマで修士論文を書きなさいというわけではなかったからです。今しがた示しましたように、自分で先輩の方々の執筆した修士論文や他の大学院で公表されている修士論文の要約を読んで、自分の進めようとするテーマと関係づけをして、テーマ確定を深めていくわけです。加えて、その先生からは、M2の6月、7月には相当のところまで作ってくれという指示も出ていました。自分でそうしたことが出来るのかと不安を覚えたのも何度もありました。

今となってみると、修士論文の準備には様々な資料の収集もあるのではないかと思っています。これは上述のテーマの選定とは全く異なる作業でした。資料収集には著作、論文といった活字の媒体とかについては図書館の方々に大変お世話になりました。一方、インターネットで集めることのできる資料も多くあります。こちらは自分で集めました。どちらにしても、資料収集は始めて論文執筆しようとしていた私には非常に難しいものがありました。試行錯誤に明け暮れることも多くありました。さらに集めた資料の整理についても同様でした。資料を単に置いておくだけでは不十分で、資料に目を通して収集した資料の題目、執筆者、発表年等々を記録することも大切なことであると気づくようになりました。すると、後日、このことが非常に役に立つことも見出しました。振り返ると、論文を進める上で準備に時間をかけることが重要だと思っています。

修士論文を完成させていったことは、わずかだけでも積み上げていくことと、また毎日、少しずつ書いていくと、何かが仕上がっていたことを思い出します。それでも、今回、仕上げた修士論文はまだまだ未完成だと思っています。できれば、今、新たなものにチャレンジしてみたいとも考えています。

加藤 雄誠さん

社会人として活躍しながら 大学院で学び税理士となる。

加藤 雄誠さん
昭和32年生まれ
富士大学大学院 平成21年3月修了生
秋田県で税理士事務所を開業

私は大学を卒業した際、就職先として税理士事務所を選びました。仕事とは真面目に対峙しました。その中で、毎日のルーティンワークには疑問を感じるようになってきました。
税理士事務所での仕事は、景気の悪化で人員削減もあり、担当先も増え業務に忙殺される毎日なっていました。その業務自体は税理士とは変わりませんが、資格を取れば自分のやり方で仕事ができるのではないかと考えていました。その時、税理士試験で税理士となるためには、税法科目の一科目が残っていました。そこで、試験科目免除制度を活用できる富士大学大学院に入学したわけです。

私が大学院に入学した当時、世界の金融では、サブプライムローン問題がニュースで話題になっていました。今、世界で何が起きているかに興味を覚えました。教授の説明や仲間のレポートでこれまでわからなかった事が理解できていました。大学院で学ぶことは直接業務に関係がないにしても、広い意味で知っていなければならないことが多くありました。そうしたことを学べたことは非常に新鮮だったと思っています。最も役だったのは、修士論文の執筆分野であった租税法の判例でした。裁判で行なわれた事例を多く勉強したことによって、現実に様々な問題が生じた際、どのような思考過程の上でそうした結論が導き出されたかをそれまで以上に考えるようになりました。

大学院を修了し、晴れて税理士の資格を取得すると同時に開業しました。どのように仕事を進めていくかとかを考えるのが楽しい毎日です。
顧客は主として中小企業です。開業間もない、資金が少ないなど社長さんが抱えている悩みを一緒に考えています。その企業で働く従業員の一人になったつもりで私は仕事に臨んでいます。

私の住んでいる秋田県でも、高齢化・少子化問題が目立ちます。働くところがなくて若者が出て行ってしまうことも頻繁に耳にします。他の地方同様、秋田も暗い話題ばかりが多いようです。
そのような中で、中小企業が頑張れば、そこに雇用の受け皿を作ることも可能でしょう。そのことは地域の活性化につながっていきます。そうしたお手伝いが税理士という資格を持つ我々の大事な仕事ではないかと考えています。

現在、税理士の仕事は多岐に渡っています。会計参与や政治資金監査人、地方公共団体外部監査人、地方独立行政法人監事、(訴訟)補佐人等々があります。
今後、私はもっといろんな仕事に携われるよう、様々な講習会に参加して挑戦をし続けたいと願っています。

東海林 英則さん

熱心な先生方と切磋琢磨し合える仲間たち

東海林 英則さん
昭和50年生まれ
富士大学大学院 平成24年3月修了生
花巻市で税理士事務所を開業

富士大学大学院に在学している期間中に、税理士試験科目である相続税法に合格することが出来ました。税理士試験の中で相続税法を受験科目として選んだ理由は、相続税の申告者が少なく、相続税の計算自体が複雑なので、その技術習得機会が少なかったからです。だからこそ、そういった税法の細目まで学ばなければ、税のプロフェッショナルにはなれないと思ったからです。       
合格できたのは熱心な先生方と切磋琢磨し合える仲間たちがいたからだと思っています。

税理士という仕事に興味を持ち始めたのは、社会人として自動車販売会社の本社経理課に勤めていた頃でした。その時、税理士の方と接する機会がありました。税に対する幅広い知識、経営に対する助言等々から、税理士という職種に憧れを持つようになりました。その後、私は税理士を志して、勤めていた会社を退職。仙台の税理士法人に就職しました。そこで税理士事務所の仕事をしながら税理士になるための専門学校にも通いました。さらに結婚を機に妻の出身である花巻に転居し、花巻市内の税理士事務所に勤務しました。そして本格的に税理士を目指すために事務所を退職する決断をし、富士大学大学院に入学しました。

大学院では主に、判例研究を行なっていました。相続税と贈与税についての修士論文も書きましたが、論文の執筆にあたってはより深い知識と緻密な論理の力を身につける必要があり、こうした力を身につけることができたと感じています。税理士は法律家であり、過去の判例と法の持つ論理の両者を持ち合わせています。その法律家を目指す者にとって、富士大学大学院で学んだことは今となっては有意義だったと思っています。実際に税理士になった今、この経験が大いに役に立っていると思っています。さらに大学院では、学校、先生、学生がつながることができます。税理士になって、困ったときに助けてもらったり、連絡を取り合ったりと頼もしいネットワークがあるということは素晴らしいことだと思います。
 
税理士試験に合格するためには専門学校という進路もありますが、大学院を選択することで、様々な研究をして自分自身の視野を広げることができます。そうした意味からも私は富士大学大学院の進学を勧めるものです。大学院で学んだ期間は税理士となった現在、たいへん有益であったと考えています。

髙橋 英樹さん

修了生・現役の院生同士のネットワーク構築

富士大学大学院 平成24年3月修了
福島県で税理士事務所を開業

現在、私は、福島市の会計事務所に勤務しております。
その会計事務所長から任を解いていただき一定期間非常勤となった上で、富士大学大学院に入学しました。
就職当初は税理士のことは全く知りませんでした。けれども仕事をするなかで、私は次第にこの仕事に充実感を覚えて、やりがいを感じるようになりました。しかし、自分に税理士という資格がないと残るものが全くないことにも気付くようになっていました。

働きながらの勉強は非常に厳しいものがありました。できることなら、一度環境を変えてしっかり勉強したいと考えるようになったのもその頃で、本学との出会いはそのチャンスとなりました。ですから応援して下さった事務所の先生や職員の方々、そして家族に感謝しています。大学院の在学中にはもっと早くから取組んでいればと考えたこともありましたが、自分自身が目標を掲げて、勉強しようと思い立ったとするならば時期の早い遅いはあまり関係ないのではないかと振り返るようにもなりました。

私は、富士大学大学院では特別社会人入試制度の下で入学しました。高度な研究に当たっては、基礎的な学力を固めるため、一年間は経済学部で60単位修得することを求められました。それまでの私は、大学卒業の資格がなく、無我夢中で仕事に取り組むだけの間日でした。ただ、社会人としての意地がありましたから、入学した際、何が何でも結果を出すと決意したのを思い出します。そうでなければ、対外的に認められることはないと思ったからです。そこで自分に足りない部分を出来るだけ多く吸収しようと思い、努力を続けました。
実際に富士大学経済学部の授業を受けてみると自分の世界観が狭く学問の持つ力を知り、驚くことが多かったように思い出します。学部の授業では、経済学、経営学をはじめ、情報学など、様々な分野に接しました。単位数は大変多かったのですが、学部で幅広い知識を深め視野を広げて勉強することは、修士課程での研究において必ず生きていると改めて思っています。

大学院の学びは学部のそれよりレベルが上がりました。院生は各人が選んだテーマの問題点を解決するためには、学術的な力と論理的な力の双方が求められます。大切なことは、限られた時間を意識して、自分自身の時間を大事にすることだと思います。なぜなら、大学院一年目は、ある程度の単位を修得するための時間を確保する必要があります。修士論文を作成する二年目には自分で集めた文献の内容を整理するなど準備が必要です。その上で先生方の指導を真摯に受け止めて、大学院での学びは深めることができるようになると思っています。
富士大学大学院では税務会計研究会が発足されて、修了生・現役の院生同士のネットワーク構築が進んでいます。ですから私も富士大学大学院に入学される方々には研究に取り組み交流の機会を生かすことが出来るよう微力ながら応援させて頂きます。
大学院で私は、会計学の伊藤善朗先生、租税法の中江博行先生のご懇切なご指導を賜りました。先生方には、修士論文の作成だけではなく、人としての在り方についてもご教示頂いたように思います。同窓生にも恵まれました。沢山の思い出があります。
まだまだ勉強不足の身ですが、これまで以上に精進していきたいと思います。

高橋 広泰さん

大学院での学び

宮城県出身
平成30年3月 富士大学大学院修了

大学院の学びについて考えてみました。富士大学大学院は父親の勧めを受けて受験をしました。当初、大学院で学ぶことなど、自分自身は縁遠い人間ではなかったかと思っています。学業についてはこれまでそれほど真剣に考える余裕もなく、ただ自分の想いに任せて、自分の歩みを進めて来ました。それでも大学院に入学後も、思ったようにはなかなか進みませんでした。

大学院で学ぶことで真剣に取り組む切っ掛けになった授業がありました。それは統計学をご担当する早川毅先生の授業でした。当初、この授業を履修することには私自身、あまり気が進みませんでした。というのも数理的な分野については、非常に苦手な分野でした。思い返すと、数学に関係する勉強は不得意以外、何ものでもありませんでした。大学院で専攻となる会計学とはかなり異なっている分野であったことは確かです。

大学院で本格的に学び始めた4月、5月の頃は、他の授業に付いていくことでも相当に大変なものがありました。ゼミの先生からは、大きな課題である修士論文のテーマ選定に専心しなさいというご教示もあり、そのことで頭が一杯になっていました。他の授業科目であっても、報告のためのレポート作りとか、宿題で悪戦苦闘していました。その上で、税理士試験の準備を進めていましたから、なんでこんな毎日を過ごさなければならないのかと思い悩み続けたものです。
後期に入ると、大学院での毎日は少し楽になったような気がしました。まず、そのように勉強を続けているのが自分だけではなく、一緒に学びを始めた方々も同じように悪戦苦闘する姿を見出したからです。またその頃になると、早川毅先生の授業は大変だけれど続けて出席しよう、単位修得を見据えて授業に出続けようと考えるようになっていました。それは先生のお人柄とか、統計学という学問に対する接し方からだと思っています。最終段階の12月頃には、早川先生が統計学を専門としない院生に対して、どのようなことを臨まれているかも少し分かってきたように思いました。

今、思い返すと、大学院での学びは非常に厳しいものがあります。今もそれは変わりません。そうした学びは容易く片付くとは言えないものばかりです。私自身はわずかですが、この厳しさを垣間見ることが出来たと思っています。早川先生の授業だけではなく、ゼミ担当の伊藤善朗先生からも同じことが言えるような気がします。
今や、大学院での学びは私自身にとって極めて大きな財産になっています。

長谷部 直哉さん

社会人として活躍しながら 大学院で学び税理士となる。

長谷部 直哉さん
昭和54年生まれ
富士大学大学院 平成24年3月修了
秋田県で父親の税理士事務所に勤務

私が、資格取得のために勉強を始めたのは、大学を卒業してからでした。税法科目を2科目残すところまできましたが、なかなか目標にたどり着けずに数年がたち、このまま税理士試験を続けていくべきか、大学院へ進学するという選択をすべきか悩んでおりました。税理士試験免除制度を利用できる富士大学大学院のことはインターネット、新聞等で知っておりましたが、大学院の講義についていけるか、通学に1時間半以上かかるが2年間通うことが可能なのか等、不安に思うことは多々ありました。受験生時代の知人が富士大学大学院を修了し税理士資格を取得したと聞き、その方から大学院での講義内容や論文作成までの流れについて詳しく話を聞きました。色々とアドバイスをいただき後押しをされる形で大学院入学試験を受けることを決断しました。入試前より事前相談等さまざまなサポートを受けることができ、無事に入学することができました。

必要単位を一年次に修得することを目標として、仕事との調整もしてもらいながら週3日間の通学生活が始まりました。学部での講義は、経済学、経営学、情報学などを学ぶことになります。講義数も多く、レポート提出もあるため相応の時間が必要となってしまいますが、聞くばかりの講義だけではなく参加型の講義も多くあるため、毎講義が新鮮であり広く深い知識の修得と気づきを与えてくれます。
一年次の後半からは、自身の選定したテーマに基づき修士論文の作成が始まります。二年次では毎講義、研究内容を発表し研究指導教授の先生、ゼミ生より意見をいただき、論文の再構築を繰り返していくことで完成へ近づけていくことになります。どうしても講義に参加できない時には、後日メールでご指導いただいた事もありました。研究指導教授である中江博行先生の熱心なご指導、そして教職員、同期の方達の協力もあり無事に修士論文を書き上げることができました。

通学途中に、ふと心が折れそうになることもありましたが、同じ目標を持つ仲間にも恵まれ、沢山の出会いと思い出をいただきました。大学院で学べたことを今は良かったと感謝しております。

大学院終了後に修士論文を国税審議会へ提出し、同年8月に免除決定通知を受けることができました。日々、勉強の毎日ですが大学院で学んだことを胸に、自己研鑚に努めていきたいと思います。

山田 順子さん 

社会人として、主婦として、 女性の自立を実現。

山田 順子さん 
富士大学大学院 平成21年3月修了
税理士法人に勤務

富士大学大学院は、手に職を身につけるため、定年後も女性が働くことが出来る仕事を考え、税理士の勉強を始めた私にとって人生のターニングポイントの一つとなりました。今振り返っても大学院通学は大正解だったと感じています。

大学院に入学する前は、経理事務を始めて4年目ぐらいでした。それ以前は、パソコンインストラクター、キャビンアテンダント等と事務仕事とは無縁の仕事でした。
修士論文や新幹線通学は年齢的体力的にもついていけるか不安が大きく心配でした。
そんな中、入学前の説明を伺い諸先生方の暖かい励ましで、仙台から花巻まで新幹線通学が出来ると確信出来ました。また修士論文のテーマまで話をしながら導いて頂きました。

学生生活が始まると、同級生の年齢層も幅広く、諸先生方の授業が新鮮で、若いうちにこの知識があればと何度も思いました。また諸先生方、同級生、先輩、後輩と話すことで世界が広がりました。在学中は岸田先生、先輩の方々とゼミはもちろん新幹線でも帰りが一緒になり、日常の会話の中でも知識不足を感じながらも人としてどうあるべきか人生勉強ができたと思います。
大学院受験前は、税理士試験科目に合格していませんでしたが、入学前に財務諸表論に合格し、大学院一年目で簿記論に合格しました。簿記論は年数がかかってしまいましたが、合格した同級生に勉強のアドバイスを得、実践できたからだと思います。
行きの新幹線通学時間は簿記論問題を解くのにちょうどいい時間でした。
他の学校と比べても仕事と勉強が両立しやすい環境だと思います。大学院修了後、娘が難病にかかり、一時は娘の薬の副作用のため病院で寝泊まりしながらTACに通った時期もありました。おかげで逃げ場がなく勉強が良く出来、最後の科目合格に至りました。税法免除が無ければ、体力、お金、時間と考えると、今でもぞっとします。

現在、税理士法人に勤務し、実務経験が少ない分苦労しておりますが、大学院の人脈で経験豊かな税理士の諸先輩方と連絡を取らせていただき、判断に迷う時は相談させていただいています。
専門学校(TAC)時代の勉強と仕事の往復の毎日に比べると、大学院は天国のような生活でした。学んだことをしっかり仕事に生かし、今は助けてもらってばかりですが、アドバイスできるよう日々研鑽していきたいと思います。